「問い」としての銃弾―尾形百之助についての覚え書き

 【1】嘘つきの語りづらさ 

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 ゴールデンカムイのもう一人の主人公である(と勝手に思ってる)尾形百之助について語るのは難しいな、と思ってずっと言及するのを避けてきました。というのも、彼が語る言葉が、本心から出たものか、それともハッタリなのか、私にはほとんど判別できなかったからです。

 杉元の嘘は簡単に見抜けます。たとえば、鶴見中尉に拷問を受けるシーンで、彼は徹頭徹尾、嘘を突き通すわけですが、読者は彼が「不死身の杉元」であり、金塊を追っていることも、鶴見を信頼していないことからも杉元の嘘が分かる。
 
 キロランケに刺青人皮を持っているのかと聞かれ「無い」と答えたのも読者には明白な嘘です。逆に「チタタプしてヒンナヒンナしてほしいんだよ!」からも分かる通り、願望には正直な男なので真偽の判別がすごく楽です。だから彼の発言は分析しやすい。
 
 尾形の発言はこういう読者にとって自明な描かれた事実や推察とは無関係な、精神的な揺れに関わることが多い。たとえば9巻、樺戸の囚人に乗っ取られたコタンでの一言。

 「俺も別に好きじゃねえぜ。杉元…」


 これは同巻の「お前が好きで助けたわけじゃねえよ。コウモリ野郎」という杉元の言葉に対する遅めの返答ですけど、尾形の杉元への気持ちが嘘なのか本心なのか、検討がつかない
 
 その後の杉元の暴力を見て「おっかねえ男だぜ」と評することや11巻でアイヌの大男を殴り倒すシーンで拍手していることを鑑みるに、彼の暴力性はかなり気に入っていることから考えると、やっぱりそれなりに好きなタイプであって、なんとなく虚勢みたいなもんかなーと推察できる程度です。
 
 このように尾形の感情表現は錯綜しており、そのまま受け入れるわけにはいかないため、他の発言と照らし合わせて初めて本音なのか嘘なのかが明らかになる。そのへんが文章で語るのが難しい一因だと思います。
 
 このように、あんまり信頼できないキャラクターではあるんですが、意外なことに彼は客観的な事実に反するタイプの嘘(杉元の刺青人皮持ってない発言)はつかない。唯一、14巻でアシリパに言った「近づいて確認したがふたりとも死んでいた」だけです。
 
 そう考えると彼より杉元のほうがよっぽど言葉の上では嘘つきなのです。尾形は言葉の嘘ではなく、行動で嘘をつく、つまり裏切りです。これが彼に「嘘つき」の印象を与える最大の理由なんでしょうね。
 
 尾形の発言内容や行動に注目すると、私のように単純な思考の読み手は混乱させられてしまう。だから今回は彼が「何を言っているのか」という意味や内容のレベルではなく、「なぜ・どのように嘘をつくのか」という形式のレベルで彼の発言を読み解いてみたい。それが、私が尾形に近づける唯一の方法です。


 【2】「問い」という銃口

 なんだか寡黙な印象のある尾形ですが、実際はすごくおしゃべりです。皆さん普通に感じてらっしゃるとは思いますが、一応書いてみましょうか。6巻で土方と相対したときのセリフ。 

 「茨戸まで来たのは刺青の噂を偶然耳にしたからなんだがね。床屋の前であんたらをみてすぐにわかった。俺は情報将校である鶴見中尉の下で動いていたからよく知ってるぜ。土方歳三さん。腕の立つ用心棒はいらねえかい」 

 要するに土方に対して「俺を殺すな」って伝えるために、この長ゼリフを口にする。相手に情報を与える代わりに、自分を信頼させ、もっと情報を引き出させようとする一種のテクニックですね。

 その上で「用心棒はいらねえかい」と言うのは疑問形に見せかけて「俺を仲間にしろ」っていう反語。彼は土方に「問い」かけているようでいて、実は答えの決まっている独白を繰り返しているだけです。
 
 情報も持っているし銃の腕も確かだ、だから俺は殺せない、という言葉の言い換えでしかない。彼の「問い」はそもそも自分が知らないものに対する疑問から発されていない。疑問形の形を借りた断定=反語にこそ、彼の発言の本質がある。
 
 もう少し、彼のおしゃべりに付き合いましょうか。9巻の樺戸の囚人に乗っ取られたコタンでの発言。

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 「ムシオンカミって、どういう意味だ?
 おや?もしかして分からんのか?」 

 尾形は目の前にいるのがアイヌになりすました囚人であることを確信している。すでに着物の裾から見えた刺青に気付いているわけですから、見せろと言えば済む話。でもあえて偽物だとは断言せず、疑問形で追い詰めていく。彼にとって疑問形は言葉の形を借りた銃。一種の攻撃的な「行為」、すなわち「尋問」なのです。
 
 しつこいですが、彼の「問い」を突き詰めていきましょう。5巻の谷垣とのやりとりは、最も良い「尋問」ケースです。
 

 「歩けるまで回復したのにどうして鶴見中尉のところへ戻らない?」
 「お前が玉井伍長たちを殺したな?」
 「いま…自分の銃を見たのか?」
 「ああそうだ、ところで…不死身の杉元を見たか?」

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 この辺にしときますが、尾形にとって「問い」が銃と同じくらい信頼のおける脅しの武器であることがおわかりいただけると思います。彼は疑問に対する答えを求めているわけではない。答えは彼の中にすでに存在しているのだから、「問い」は反語に過ぎない。「問い」は相手を追い詰めるための手段、のど元に突きつける銃口なのです。 


 【3】答えのない「問い」 

 「問い」という銃に寄りかかる男、というのが初期の尾形に対する見方です。ここで彼にとって「問い」は銃に、銃は「問い」に置き換えできるもの、と捉えてみましょう。すると彼の銃弾の意味が、「問い」として少し理解出来てくる。15巻でトドを撃つシーン。 

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 「む?」
 「頭に命中したはずなのに…斃せなかった」

 彼は自分の銃の腕を完全に信頼しきっている、だからトドを撃ち殺したと思い込む。でもトドに逃げられそうになってしまう。彼は自分の銃=「問い」への、自身に対する裏切りを感じたからなのか、答えが決まった「問い」ではなく素朴な疑問の言葉を口にしてしまう。

 もはや回答は彼の中に用意されていない。アシリパが頭蓋骨が固いから狙うなという「答え」をさずけます。銃と「問い」をめぐるやりとり。9巻のヤマシギ狩りで尾形が銃を構えたシーンの繰り返しですね。
 

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 「おい!尾形。やめておけ」
 「なんでだよ、食うんだろ?」
 「一羽に当てられたとしても他のが逃げてしまう。ヤマシギは蛇行して飛ぶのでその銃の弾じゃ当てるのは難しい」

  ここでも彼の信頼する銃=「問い」が否定され、素朴な疑問を呈さざるを得なくなる。アシリパはきちんと、彼の抱いた「問い」にアイヌの知識をもって答える。このやりとりは脅しとしての「問い」=銃という決まり切った応酬ではなく、「疑問」と「回答」の本来あるべき姿が表わされているシーンだと思います。
 
 ここで尾形は、アシリパが罠で獲った2羽より多い3羽のヤマシギを射止めてくるわけですが、これは完全に彼女を自らの銃で屈服させようという、ある種のマウンティングです。
 
 どうだ、俺は正しい、俺の銃は嘘をつかない、というシンプルな自己主張が立ち現れる。杉元の「ムキになっちゃってさ…」は彼の精神状態を良く言い表しています。尾形は自分自身=銃=「問い」に対して、嘘はつけない、むき身の自分をさらけ出してしまうんですね。

 ここで、彼の最も重要な「問い」に目を向けてみたい。11巻で、尾形の父である花沢中将に対して発した「問い」です。 

 「愛情のない親が交わって出来る子供は、何かが欠けた人間に育つのですかね?」
 「勇作さんの戦死を聞いたとき…父上は俺を想ったのか…。無視し続けた妾の子が急に愛おしくなったのではないかと…」
 「祝福された道が俺にもあったのか…」

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 これまでさんざん語ってきましたが、この「問い」は彼にとっての銃口、相手を追い詰めるために捏造されたかりそめの疑問です。花沢中将は「呪われろ」という、尾形の思ったとおりの回答を口にする。この瞬間において尾形は勝利している。彼は何かが欠けた人間であり、愛されぬ子であり、祝福されぬ道を歩まざるを得ないという自己認識をすでに持っていて、それを追認して欲しかったからこそ「問い」を突きつけて花沢中将を脅迫するわけですね。

 だから、このやりとりは本質的に尾形の独白です。アシリパに投げかけた疑問、そして未知の知識による答えで描写されたようなやりとり、ムキになる子供じみた行動、という「他者」が存在する前提の会話とは決定的に隔たっていることがおわかりいただけると思います。
 
 彼は決まり切った「問い」という銃口を突きつけ、脅えさせることで、不動の自己を確認したいのですが、そこにアシリパという臆せざる「他者」が現れたとき、動揺してしまう。自己が否定されたとき、ありのままの自分、本来的な疑問としての「問い」を発さざるを得なくなる。

 答えのある「問い」と銃という暴力の互換性について、つたないですが私の考えをおわかりいただけたでしょうか?彼は決まり切ったことを確認するために「問う」、あるいは撃つ。それは彼が彼自身であるために必要なもの、自分自身を守るための「殻」でもあります。だから「問い」という「殻」が破れれば銃にすがる、「殻」も銃もだめになったとき、初めて本質的な疑問としての「問い」がこぼれてくるのです。

 【4】尾形の「沈黙」

 ここで尾形の寡黙なイメージについて考えてみましょう。彼は特定の人物(花沢中将、土方、杉元)に対しては極めて饒舌ですが、これは「殻」をまとい「問い」の形式を取れる相手=敵に限ったことです。素になってしまう相手=味方に対しては、沈黙せざるを得ない。たとえば11巻の白石との会話。

 「だからホラッ、尾形チャン吸ってくれよ」
 「歯茎とかに毒が入ったら……嫌だから」   

 「おなかすいたね」
 「……」 

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 私はこれが案外、尾形の素に近いキャラクターなのではないかと思います。もし杉元や谷垣がマムシに噛まれた当人だったらどれだけいやみったらしく罵倒したか考えてみればいい。しかし白石に対してはただ自分の好き嫌いだけをコメントしてしまう。
 
 後者にいたっては三点リーダーさえ発してないわけですが、別に白石を無視してるわけじゃないと思う。「おなかすいてない?大丈夫」という攻撃でも防御でもない、無防備ないたわりの言葉としての「問い」に対して返す言葉を持たないだけです。
 
 尾形にとって白石は本能的に苦手なタイプ。タヌキを取り逃して杉元とアシリパに役立たず呼ばわりされるシーンでも、唯々諾々と罵倒されていた男。言葉の棘を受け止めることができる男。言葉の「殻」を身にまとい、「問い」返してしまう尾形とは対照的なわけです。
 
 だから二人の間には会話が成立しない。尾形の「問い」は相手の心を傷つけるために発される銃弾なわけで、傷つかない相手には無意味ですし、白石の自然な「問い」に返す言葉にはそもそも持っていないわけで、尾形は白石との会話を無意識に避けちゃう。白石の前では尾形は無力だから、「沈黙」を選ぶというのは言い過ぎでしょうか?
 
 実は白石は他のメンバーよりずっと精神的に大人で、自分に苦手意識を感じている尾形にあえて話しかけようとしないのかもしれません。対立を避け、傷つけ合わない。尾形と距離をもって接する以上、この断絶は目に付かないのですが、この断絶を無視して乗り越えてきてしまうのが、アシリパであり、彼の実弟である花沢勇作少尉だった、と私は捉えています。彼らの前でもまた、素の尾形は「沈黙」せざるを得ない。 

 

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 「尾形ぁ『ヒンナ』は?」
 「ほっときなよ」
 「尾形はいつになったらヒンナできるのかな?好きな食べ物ならヒンナ出来るか?」
 「尾形の好物はなんだ?」

  尾形は「沈黙」しますが、ここから花沢中将自刃の回想へと入っていく。これは「問い」を使えない相手に対する、「答え」を求めて、自分の内面に対し「問い」かけ始めたと捉えてもいいのではないでしょうか。単純に好物の話ですけど、素の尾形にはそういう当たり障りのない会話さえ存在しなかったわけですから。非常にまじめにアシリパの「問い」を受け止めているとも考えられます。

【5】癒着した「殻」

 花沢勇作に関しては本誌に踏み込まざるを得ないので、うろ覚えかつ一面的な読解にはなってしまいます。一応流れだけ押さえておくと、尾形を兄と慕う高貴な血筋の勇作。鶴見は自分たちのクーデターの仲間に引き込もうと画策している。
 
 尾形は「殻」の中に勇作を閉じ込めようと、「男兄弟はいっしょに悪さをするものでしょう」と、例によって「答え」のない意地の悪い「問い」の銃口を突きつけます。しかし、勇作は結果的に席をはずす。これは結構尾形にはこたえたはずです。手の内に入っていたはずの小鳥がスルッと抜け出いていくような感じです。

 最初に書いた、今回の考察では内容には触れず形式的なことしか見ないというマイルールからは外れますが、ちょっと尾形の言う「血」の意味に触れておく必要があるでしょう。たしか尾形は「血に高貴もクソもない」と血統を否定していた。それは自分に対する自負の現れであり、父や弟に対する敵愾心そのものだったはずです。
 
 弟は「血」のつながった部下である兄を敬愛するわけですから、尾形からしてみると見下げた奴のはずです。しかしその見下げた奴を兄弟という「血」でたぶらかそうとした時、勇作はそれを捨て、血のつながらぬ戦友たちを守るために童貞を守り、偶像でいることを選んだわけです。すると、実際のところ「血」にすがりついていたのは尾形にほかならないことが曝露されてしまう。
 
 こういう転倒にこそ、尾形は恐怖する。弟に突きつけていたはずの「問い」が、彼自身に向く銃口となっていたことに気付いてしまったのです。尾形は165話でもう一度勇作への「問い」を試みます。 

 「勇作殿…旅順に来てから、誰かひとりでもロシア兵を殺しましたか?」
 「旗手であることを言い訳に手を汚したくないのですか?」
 「罪悪感?殺した相手に対する罪悪感ですか?そんなもの…みんなありませんよ。そう振る舞っているだけでは?みんな俺と同じはずだ」 

  例によって言葉で武装した尾形が勇作を圧倒しているように見えます。しかし「問い」の銃弾は同時に尾形も傷つけていることに注意したい。人殺し、血まみれの汚れた手、罪悪感のない冷血鬼、弟を責めるたびに、尾形の言葉はつたなくなり、素の尾形に近く、ついには「みんな俺と同じ」という本音をこぼしてしまったように私には受け取れます。
 
 勇作という鏡の前に立たされて、彼は身にまとっていた「問い」という言葉の「殻」を引きはがされてしまった。尾形がそうしてまで求めていたのは、花沢中将と同じ「呪われろ」の一言だった(作中の時間軸的には逆ですが)のかもしれないし、自分と同じ血まみれの人殺しになることだったかもしれない。しかし、そのむき身の尾形に対し、勇作は抱きしめるという実力行使に訴える。「兄様はけしてそんな人じゃない」と呼び掛け、エスノー問答の前提自体をひっくり返すという第3の選択肢を選ぶわけです。
 
 このやりとりは杉元とアシリパが100話でした会話とも似ています。勇作の「けしてそんな人じゃない」という抱擁は、梅子の「あなた…どなた?」とアシリパの「干し柿を食べたら戦争に行く前の杉元に戻れるのかな」を圧縮したものではないか?
 
 前稿(https://iggysan.hatenablog.com/entry/2018/10/28/171041)で杉元は戦場を生き延びるために「不死身の杉元」という人格=他者をつくり上げたと述べましたが、杉元の場合はこの他者を少しずつもとの「佐一ちゃん」に寄せていくことに100話以上掛かっているわけですね。尾形の場合この自己防御のプロセスを子供時代からずっと重ねる必要があったため杉元より深刻な病状を呈していた。「殻」が完全に尾形自身と癒着してしまっていた。
 
 勇作の「問い」への否定に対し、尾形が選んだ「答え」は「沈黙」。ここにおいて彼の素の姿が明らかにされた、と言う点では勇作の行為と言葉は効を奏したわけですが、その後尾形は銃弾という彼にとっておなじみの、自分自身を守るための「問い」に頼ってしまいました。尾形は自分を守ろうとして「殻」を身にまとい、それにすがったのですから、誰も責められないと思います。また逆に、兄の精神的な危機を見て、何かしてやらねばと感じた勇作の行動と残酷な言葉は短絡的ではあったけど、同様に私は責められない。

 ほんとうは「俺と同じ」は勇作から語られるべきであり、抱擁は尾形の方からなされるべきだったかもしれないと私は感じてしまいますが、戦場においては成長と癒やしの時間があまりにも足りなかったのかもしれませんね。彼らのキャラクターにあまりにも合わないので、妄想の域にとどめておきましょうか。
 
 議論が錯綜してきたのでこの辺でとりあえず稿を締めたいのですが、最後に尾形の「殻」は結局どうなったのかだけ触れておきましょう。尾形が勇作を撃ち、アシリパに弟の面影を重ねていることをもって、尾形がアシリパに危害を加えるのではないか?という懸念を抱いている方は結構いらっしゃるように見受けられました。
 
 チタタプと口にした後、杉元やウイルクを撃ったことを考えると、ヒンナと口にした彼をそう捉えてしまうのはある程度妥当な推定だと思います。ですがそうすると、勇作を撃ってから尾形は一切癒やされていないし、成長していないということにもなります。
 
 勇作の幽霊が「兄様、寒くありませんか?」と「問い」かけてきているのはなぜでしょうか。もちろんこの幽霊は実在する他者ではなく、尾形が作り出した幻影にほかならない。すると、彼は自分自身に問いかけている、あの日勇作と話した問答の繰り返しをしているわけです。
 
 幽霊が口にしているのは尾形に対する恨みの言葉なのでしょうか。「不死身の杉元」が弱い自分を罰するために存在したように、尾形も自身を罰するための他者として幽霊を「殻」の中に住まわせたとしても不思議ではない。「寒くありませんか」は「もっと寒くなれ」という反語、自分自身に対して発する呪いの言葉なのだと捉えるのは絶望的な見解ではありますが、それなりに論拠がありますし、もしそうなら自分を苦しめる幽霊を撃ち倒すために二発目の銃弾をアシリパに撃ち込むかも知れないと危惧してしまうのは自然なことに思えます。
 
 しかし、これはすべて尾形の内面で起きている自問自答です。すでに彼は無防備な「問い」を放ちうる他者を持っている。一方的に「問い」かけることをやめ、「嫌だから…」「いや、俺はいい」と、きちんと自分の意見を表明したりするひとりのキャラクターを目撃しているわけです。やっぱり彼は戦場での彼とはすでに違う人物に変わりつつあるんじゃないかと思います。
 
 尾形の罪は消えるような性質のものではない。ただ、痛みを和らげてくれる友もまた、新たにできつつある。「おなかすいたね」「好物はなんだ」という素直な「問い」を発する仲間、「問い」は反語やのど元に突きつけられた銃口ではないと感じる仲間は育ちつつあるんじゃないか。

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 釧路湿原で尾形を殺そうとした谷垣と再開し、紆余曲折はありながらも、結局誰も傷つけることなく落着させた。むろんこれは裏でアシリパと杉元が姉畑を追っかけてたからこそだし、尾形自身「戦友」のために自分を抑えたとはみじんも感じてないわけですが、結局それでアシリパの信認を勝ち得る。結果的にではありますが、周りの人にとっては「そんな人」じゃなくなりつつある面もあるわけです。


 尾形がアシリパと一緒に旅をし、獲物をしとめるたびに彼の見えないところで、尾形の銃弾はある種の「善行」を蓄積している。周囲の人々に受け入れられる土壌は育ちつつある。もし、杉元が、そして尾形自身が尾形を許すことがあれば、その時初めて「寒くありませんか」という勇作の言葉が、一切の他意がなく純粋に尾形をいたわる言葉なのだと受け止められる素地ができあがるのではないか。そういう希望的な見方もできるとだけ言って終わります。読んでいただいてありがとうございます。

 谷垣?勃起?ウッ、頭が……。